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A blood moon is seen in the dark sky. Lunar eclipse natural phenomenon of sky spectacle.

A blood moon is seen in the dark sky. Lunar eclipse natural phenomenon...

The moon during a lunar eclipse / The moon during a lunar eclipse public domain stock photo.

亜東印画輯 09 005 "蟠龍寺付近(連山關附近)"

亜東印画輯 09 005 "蟠龍寺付近(連山關附近)"

日本語: ●蟠龍寺付近(連山關附近) 日淸、日露の古戰場として名高い摩天嶺の嶮は連山關の西三里にあり、頂上に五つの巖石峙立せるため五峯嶺の名がある。頂上に蟠龍寺あり、北處より翠松紅蘿相點綴する懸崖遙か脚下の深潭を瞰み往年この天嶮に戈を交へし武士の追憶を辿れば、碧水幽韻の裡に懷舊の情湧き苦戰の跡が偲ばれる。 (印畵の複製を嚴禁す) 

亜東印画輯 09 006 "釣魚臺普濟寺(安奉沿線)"

亜東印画輯 09 006 "釣魚臺普濟寺(安奉沿線)"

日本語: ●釣魚臺普濟寺(安奉沿線) 橋頭より南一里半あたり細河の溪流漸く屈曲して峽流を出づる處、深潭に臨み曲水を壓して峙つ巨巖が釣魚臺である。石階を昇れば普濟寺あり、老松絕壁に滴る對岸の懸崖より望めば碧水を隔てゝ丹碧長磴の影を映す樣は麗はしく、特に雨に煙る姿は蜃氣樓の如く一しほと云はれて居る。 (印畵の複製を嚴禁す) 

亜東印画輯 09 012 "棉花の乾燥(太子河)"

亜東印画輯 09 012 "棉花の乾燥(太子河)"

日本語: ●棉花の乾燥(太子河) 準備の整つた耕地に四月から五月初め頃に棉花の播種が行はれ、その間幾度も手入れをされて七月中旬頃開花八月中旬から九月初め頃に開絮と共に見事な棉の花が摘採され、摘まれた棉は充分の乾燥を與へて繰綿とされ市場に出される。 棉花は滿洲の重要物產で現在年額繰綿三八〇〇萬斤着々品質の改良と擴張を計つて居る。 (印畵の複製を嚴禁す) 

亜東印画輯 09 010 "鳳凰山遠望(高麗門附近)"

亜東印画輯 09 010 "鳳凰山遠望(高麗門附近)"

日本語: ●鳳凰山遠望(高麗門附近) 『孤松蟠地起、亂石倚天生』と詠れた奇巖怪石の鳳凰山の偉觀は、淙々の溪水に懸崖の瀑布に或は古蹟を尋ね奇勝を訪れるも興あるが、遠く山裾に杖を止め靜かに展開された長閑かな山峽の草原に、牧草を追ふ放牛の聲を夢の如く聞きつゝ、畑を越え森を隔てゝ遙かに稜々たる山骨を望むのも幽幻の裡に又得がたき趣がある。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 009 "高麗山の一角(安奉沿線)"

亜東印画輯 09 009 "高麗山の一角(安奉沿線)"

日本語: ●高麗山の一角(安奉沿線) 遙か眼下に銀絲を連ねたやうな細流は、赭土を點綴する綠樹の間を縫ひ蜿々と曲走し、俄かに奇峯高麗の突兀より湧出せる一抹の白雲は遠く翠巒をかすめ山裾を廻つて去來する。雲影に彩られた地上は、雲表に遮られた遠山の頂を合せて渾然として宛然一幅の畫である。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 023 "支那式幌馬車(蒙古)"

亜東印画輯 09 023 "支那式幌馬車(蒙古)"

日本語: ●支那式幌馬車(蒙古) 年一回の祭典は終つた、裝飾された幌馬車には種々の御土產も積込まれた、またしても幾日かの旅は駱駝の鈴にゆられて草原の彼方に續けられる。これは殆んと支那化した幌馬車で、夕闇草原を匍ふ頃に轅の跡を殘して遙かに曠野の彼方に影を沒するこの馬車から、餘韻嫋々たる哀調の蒙古唄を聞くのは淋しいものである。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 014 "陽を浴びて(蒙古)"

亜東印画輯 09 014 "陽を浴びて(蒙古)"

日本語: ●陽を浴びて(蒙古) 澄み切つた爽やかな郊外の午下り、蒼空の下に柔らかな陽光を浴びて、ぽつかりと白く浮き出たやうな緬羊の群が、如何にも平和さうに草を漁つて居る圖は牧歌味の豐かな自然のタツチを見るやうだ。 緬羊は山羊と共に蒙古種であるが在來食用を主として飼育した關係から毛質はよくなく、然し今は種々なる改良種が普及されて來たので前途見る可きものがあらう。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 008 "煙草の栽培(湯山城)"

亜東印画輯 09 008 "煙草の栽培(湯山城)"

日本語: ●煙草の栽培(湯山城) 苦力などが如何にも悠然と煙を吐いて居る長い煙管の先に下げた袋の中の煙草は大方は地物である。滿洲產の製品は今迄は品質も劣等で僅かに手揉みにされて土民の喫煙に供されて來たが、近來米國種黄色物が移植獎勵されてから漸次有望視され、今後はその統制と共に栽培が有利とされて來た。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 020 "王府前の馬群(蒙古)"

亜東印画輯 09 020 "王府前の馬群(蒙古)"

日本語: ●王府前の馬群(蒙古) 牧畜が主な蒙古人は畜類はその全財產と云つてもよくその所有頭數で財產が表價される。これは某旗長の王府前に螺集する馬群の一隊、二本の長棹は王府を標識する印で點々と屯する蒙古包はその堂官の宿舍であらう、馬は乘用の外に輓馬用として重要されて居る。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 016 "氈子を造る(蒙古)"

亜東印画輯 09 016 "氈子を造る(蒙古)"

日本語: ●氈子を造る(蒙古) 諸方から買集められた羊毛は裝塡されたまゝ積まれて居る。端の方のさゝやかな建物はこれを加工する工場で、此處で拙稚な蒙古の工人の手で凝固劑を入れて足踏にかけられ氈子が製造されて居る。氈子は包を造るに必要な嚴寒にも堪へる絨氈樣のもので、羊毛はその他に蒙古人の衣類に用ひられる。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 022 "進化した固定包(蒙古)"

亜東印画輯 09 022 "進化した固定包(蒙古)"

日本語: ●進化した固定包(蒙古) 移動の蒙古包がやゝ半永久的になると固定されて側が泥土で塗られる。更に永久的になると外觀は移動包と同じであるが生活樣式の變化と共に建築樣式も異り、屋根も固められ窓や炕が取付けられ入口の氈子もはづされて全く支那式家屋となる。後の生垣は家畜を飼育する圍で恐ろしい蒙古犬が心得顏に見張りをして居る。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 031 "南嶺道路(新京)"

亜東印画輯 09 031 "南嶺道路(新京)"

日本語: ●南嶺道路(新京) 東西は「路」南北を「街」小路が「胡同」と建設區域は整然と區劃が付けられて居る。新京驛から中央通、大同廣場を一直線に南行して南嶺に達する約一里半の幹線が大同大街である。坦々たる勾配をドライブする南嶺詣は新なる感慨に香華を捧げると共に快適なる淸遊に一日の行樂を過すにふさはしい。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 004 "河岸の水車小屋(橋頭附近)"

亜東印画輯 09 004 "河岸の水車小屋(橋頭附近)"

日本語: ●河岸の水車小屋(橋頭附近) 朝まだき夜露にぬれた山合の溪流は、柔らかな陽の光を浴びて山皺も綠樹も水面も皆淸々しい。長い石堤に豐かに堰止められた水邊には名物の水車も動かず、車小屋の孤影にみが緩やかな影を映してゐる。水車は沿線の山に多い榆樹其他の幹を碎いて線香の材料をひくためで、細河の流に沿ひ到る處に散見して景趣を添へて居る。 (印畵の複製を嚴禁す) 

亜東印画輯 09 033 "國立賽馬場(新京)"

亜東印画輯 09 033 "國立賽馬場(新京)"

日本語: ●國立賽馬場(新京) 國立新京賽馬場は西郊外ゴルフリンクの西隣に設立された近代的設備の完備を誇る競馬場である。男性的な輸贏に賭ける競馬の壯快味と、一瞬にして悲喜交々におどる搖彩票の誘惑は春秋二季のシーズンには萬都のフアンを湧き立たせて此處競馬場は狂噪の曲に渦巻く。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 013 "搖り籃(太子河附近)"

亜東印画輯 09 013 "搖り籃(太子河附近)"

日本語: ●搖り籃(太子河附近) 見たとこら野良の休息に家に殘した幼兒に乳を與へてるらしい母、嬉々として乳房に吸ひよる笑顏と疲れも知らぬげに兒と戯るゝ愛着の歪められぬ自然そのまゝの姿の美しさ、ふと通り過ぎの軒から覗いた農家の午時。心盡しの蠅追ひまで備へられた丹塗りの搖籃はさてどんな夢をもたらすのやら。 (印畵の複製を嚴禁す) 

亜東印画輯 09 007 "柞蠶の野積(安東附近)"

亜東印画輯 09 007 "柞蠶の野積(安東附近)"

日本語: ●柞蠶の野積(安東附近) 柞蠶は野蠶の一種で柞樹の嫩葉の裡に蠶を放養しその產繭から糸をとる方法で、この飼育法は約百年以前から行はれたもので糸は絹紬又は天鵞絨類に適する。農家の副業として近來滿洲物產中の重要とされ、特に安奉沿線の山腹は柞樹林が多いため一帶に盛んに行はれて居る。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 039 "西公園(新京)"

亜東印画輯 09 039 "西公園(新京)"

日本語: ●西公園(新京) 西公園は總面積十二萬二千坪あり、園内は鬱蒼たる樹下に數々の理想的な施設を備へた新京の慰安地で、春の宵、夏の夕、秋の陽にさては冬のスケートに都人和樂の逍遙地である。參差たる綠葉を洩るゝ陽影を縫ふ日、滿露の楚々たる姿は豐かなる國際的情趣を添へて居る。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 036 "大馬路(新京)"

亜東印画輯 09 036 "大馬路(新京)"

日本語: ●大馬路(新京) 大馬路は舊く長春時代から商埠地の主要路として日滿折衝地帶の樞要な役割を持つた一劃で、巨商の櫛比した商勢の活氣もそのまゝに今も尚人馬輻輳の繁華をなして居る。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 018 "盛裝の婦人姿(蒙古)"

亜東印画輯 09 018 "盛裝の婦人姿(蒙古)"

日本語: ●盛裝の婦人姿(蒙古) 待望の祭典の幕は切り落された、近郷近在は勿論遠くからこの年一回の催しを樂しみに集つた善男善女の屯する包が數限りなく出來て、着飾つたいそ(いそ)した群が氈子の中から覗かれる。古代の服裝を思はせるやうな寶石と銀飾に盛裝した蒙古女が今しも參詣へと出かける處である。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 024 "順天廣場附近(新京)"

亜東印画輯 09 024 "順天廣場附近(新京)"

日本語: ●順天廣場附近(新京) 宮廷御造營豫定地附近を中心としてやがては一國政治の中心となり、魏然たる建築の群立を見ると共に名實共に新興國の威容を如實に誇るべき順天廣場附近は、今やその整備着々進涉し莊重なる官廳の姿を現しつゝある。 竣工の曉は搖ぎなき國是と共に燦たる偉觀が現出せらるるも遠くはない。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 011 "棉花の摘採(太子河)"

亜東印画輯 09 011 "棉花の摘採(太子河)"

日本語: ●棉花の摘採(太子河) アカシヤの花も散つて滿洲に七月の暑い日照りが續く頃になると棉の畑に眞白な美しい花が咲く。九月開絮と共に棉花畑には花摘みの姑娘の群が現はれて、やがて彼女等の小褂兒になるだらう棉花は輕いメロデーの口ずさみと共に摘採されて行く。(印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 021 "牛糞を焚く(蒙古)"

亜東印画輯 09 021 "牛糞を焚く(蒙古)"

日本語: ●牛糞を焚く(蒙古) 草木の無い蒙古地方では牛糞が唯一の燃料で、平常女子供や老人は籠を下げて拾ひ集めこれを財產として貯藏して置く。夕が近いのであらう、家婦は炕に牛糞を焚きつけてその支度にかゝるらしく、門には親の歸りを待つ顏の兒等の姿が見らる。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 017 "原頭の活佛(蒙古)"

亜東印画輯 09 017 "原頭の活佛(蒙古)"

日本語: ●原頭の活佛(蒙古) 砂丘から草原へと幾日も幾日も遇ふ人さへ稀れな蒙古旅、屯から屯に日を重ねた一日ふと原頭に喇嘛僧の一行に出遇つた。薄汚い黃袍、法體にはふさはしからぬ精悍な面貌の一群は幼い活佛を中心に練つて行く。喇嘛敎は彼等の宗敎であり即生活とも云ひ度い根強いもので活佛はその崇拜の偶像である。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 026 "大同廣場(二)(新京)"

亜東印画輯 09 026 "大同廣場(二)(新京)"

日本語: ●大同廣場(二)(新京) 大同、興安、長春、民康の大道路幹線をその圓型中心に集めた大同廣場は、美しき公園施設の綠樹とそれを繞る舖裝路を中心として周圍には首都警察廳、文敎部、國都建設局の各官廳及滿洲電信電話會社、滿洲中央銀行等の大建築その輪換の美を並べ事實上の中心をなして居る。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 030 "吉野町の盛場(新京)"

亜東印画輯 09 030 "吉野町の盛場(新京)"

日本語: ●吉野町の盛場(新京) 新京の人々が持つ享樂の盛場は吉野町である。やがて鈴蘭燈に灯ともす頃になると、ネオンにジヤズに盛場の宵は流れ出す散歩客の人いきれに夜は闌けて、都會人、分けても若い人々の持つ生活の寂寞は慰められて行くのである。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 027 "興安道路(新京)"

亜東印画輯 09 027 "興安道路(新京)"

日本語: ●興安道路(新京) 文明の尺度はその道路の發達程度によると迄云はるゝが如く國都新京の街路施設もその理想の下に着々と建設せられつゝある。興安道路は大同廣場より西方を貫く大路で、淡いアークの光に照されてマカダム路に影を落す街路樹の並木に、更けやらぬ北滿の夏を愛づるのも一しほである。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 029 "日本橋通(新京)"

亜東印画輯 09 029 "日本橋通(新京)"

日本語: ●日本橋通(新京) 舊附屬地のメーンストレート日本橋通り、事變後進出された日本人を中心とした大厦商衢が軒を並べて居る商業區域で、國都の文化は皆この一廓から吸収せられて行く。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 038 "戰の跡(新京郊外)"

亜東印画輯 09 038 "戰の跡(新京郊外)"

日本語: ●戰の跡(新京郊外) 未だ乾きやらぬ血醒い氣はいさへも殘りげなる古戰場の並木、南嶺の昔ながらの兵舎に秋の陽は赫々と訪れて、風もなきに道端の落葉は怨むが如く動き靜かに眠る數基の墓標の脚下にはありし物語りを辿るげに朽葉は囁く。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 028 "官舎街の晝(新京)"

亜東印画輯 09 028 "官舎街の晝(新京)"

日本語: ●官舎街の晝(新京) 順天、牡丹の兩公園地帶に圍まれた閑靜な一角にある滿洲國第一代用官舎街は、近代式の設備と瀟洒な樣式とでなる建物である。國都の躍進は人口の增加を伴ひ建設の進涉は住宅難を見たが、今はそれも緩和されて前庭に集ふ兒の姿にも長閑に靜かな陽がさして居る。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 032 "淨月潭貯水池(新京)"

亜東印画輯 09 032 "淨月潭貯水池(新京)"

日本語: ●淨月潭貯水池(新京) 附近に利用すべき河のない新京は郊外五里の腰站に淨月潭貯水池を作つた。花崗岩の長堰五五五米、滿水量四三一萬平方米、宛然一大湖水の如き周圍は公園設備を施し、靜かに湛へたる水面には植樹山態の影を映して幽趣掬すべく都人の杖を曳くものが多い。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 015 "放牧の一團(蒙古)"

亜東印画輯 09 015 "放牧の一團(蒙古)"

日本語: ●放牧の一團(蒙古) 一望遮るなき蒼穹と、綠の草原を劃する水平線の彼方から徐々に進み來る放牧の群、淡い陽光に溶けて銀色に映ゆる群羊の一團、靜寂の中に襲ひ迫る自然の迫力はここならで見られぬ大きさである。馬上豐かに跨つた牧夫は一棹の長鞭よく數千の群を馳驅して曠原の彼方に消えて行く。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 025 "大同広場(一)"

亜東印画輯 09 025 "大同広場(一)"

日本語: ●大同広場(一) 解説文剥がれ

亜東印画輯 09 054 "冀東政府(通州)"

亜東印画輯 09 054 "冀東政府(通州)"

日本語: ●冀東政府(通州) 北支の自治運動から離れた戰區自治促進會が河北省東部の非戰地區とその西に連る縣境界を併せて獨立したのが冀東防共自治政府である。全面積凡そ我が九州と近く二十二縣を有し、人口六百萬、北は長城を界に南は平津に接する北支の重要地區で通州に主都を置く。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 042 "護國般若寺(新京)"

亜東印画輯 09 042 "護國般若寺(新京)"

日本語: ●護國般若寺(新京) 宗敎の潜勢力は比較的程度の低い人々に想像以上の力を與へる、般若寺も全滿に多數の信者を抱擁する寺觀で特に設備の整然として行事の壯嚴と嚴肅さは他に類を見ざる特異な存在と謂はれて居る。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 040 "寬城子(新京郊外)"

亜東印画輯 09 040 "寬城子(新京郊外)"

日本語: ●寬城子(新京郊外) 今では思出の楡の木影にその頃のロシヤ氣分を味ふことも淡くなつたが、寬城子は北鐵華やかなりし頃迄は豐かな異國情緒の漂ふ土地であつた。滿洲事變のトツプを切つた苦戰の歷史を記念碑に殘したまゝ今は靜かに都塵をさけ並木に包まれる一劃である。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 037 "南嶺戰跡記念碑(新京郊外)"

亜東印画輯 09 037 "南嶺戰跡記念碑(新京郊外)"

日本語: ●南嶺戰跡記念碑(新京郊外) 昭和六年九月十九日午前三時、奉天の火蓋と共に事變の第一頁を血に彩る南嶺の苦戰、倉本中隊長以下枕を並べたその地に新らしく記念碑が建てられ、新京より坦々たるドライブ路も通じて市民散策の地となつた。日々戰跡を弔ふ人々の香華の煙は縷々として絕ゆる事がない。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 044 "移民村遠望(北滿)"

亜東印画輯 09 044 "移民村遠望(北滿)"

日本語: ●移民村遠望(北滿) 人口過剩と云ふ祖國の大きな負擔を解決する重要な捌け口として滿洲移民が提唱せられてから、今はその實行の秋である。この移民團は哈爾濱郊外阿什河右岸に一千三百餘町歩の袤大な土地を分讓せられて、昭和九年十一月以來着々成果を擧げて居る天理敎信徒の集團村である。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 019 "草原に屯して(蒙古)"

亜東印画輯 09 019 "草原に屯して(蒙古)"

日本語: ●草原に屯して(蒙古) 旦に夕に牧草を追ふて旅をつゞけて來た人々は今日はこの地に屯する事となつた。一望千里の草原の眞唯中に、幾日かの旅をつゞけた一行は暫しの憩ひにと幌馬車を停め、見る間に包は巧者に作られた。寬いだ人も馬も牛も夜露が草の葉を潤ほす頃には、幾日かの疲れも忘れて今宵は圓かな夢を結ぶであらう。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 052 "朝露に沽れて(北滿)"

亜東印画輯 09 052 "朝露に沽れて(北滿)"

日本語: ●朝露に沽れて(北滿) 夜の帳が靜かにはがれ廣い農場の地平の彼方が淡紅色に彩られて來ると、朝餉の炊煙が軒並に搖ぎ、人々は今日の仕事へと急ぐ。 朝露に沾れつゝ牧場に追はるゝ羊の群にも柔らかな曉の光が流れて希望の村の平和な一日が明ける。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 068 "永定河鐵橋(張家口)"

亜東印画輯 09 068 "永定河鐵橋(張家口)"

日本語: ●永定河鐵橋(張家口) 張家口は三方山に取圍まれ南の一面のみが開け、遠く蒙古の草原を渉つて流れ出づる永定河の上流に沿ふ溪谷の町であるため、一度大雨に遇へば忽ち濁流に見舞はれ從來度々慘禍を見たので多大の經費をかけてこの鐵橋が架せられた。橋下は平常さゝやかな流れなので河原は通路となつて居る。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 059 "大運河(通州)"

亜東印画輯 09 059 "大運河(通州)"

日本語: ●大運河(通州) 鐵道の開設を見ぬ頃の通州は船運の重要地であつた、有名な大運河は通州を起點として白河を介し平津間の通航をなし更に中部支那方面よりの貢糧の中繼所となり、町は明朝以來帝室の御米倉の所在地であつた。今は船運の利用昔日の如くでないが河岸に沿ふ村落や楊柳に白帆の隱見する趣は一しほである。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 065 "張家口市街(張家口)"

亜東印画輯 09 065 "張家口市街(張家口)"

日本語: ●張家口市街(張家口) 張家口は明の宣德年間に永定河畔に下堡を作り更に萬歷年間にその上に上堡を築き蒙古との交易地とされた。爾來塞外への要地として蒙古人の來往する者多くなると共に發展し、現在は對岸の新市街を加へこれを口內區と稱へ更に大境門外の一區を口外區と稱して居る。現在人口約十萬。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 053 "朝露に沾れて(北滿)"

亜東印画輯 09 053 "朝露に沾れて(北滿)"

日本語: ●朝露に沾れて(北滿) 夜の帳が靜かにはがれ廣い農場の地平の彼方が淡紅色に彩られて來ると、朝餉の炊煙が軒並に搖ぎ、人々は今日の仕事へと急ぐ。 朝露に沾れつゝ牧場に追はるゝ羊の群にも柔らかな曉の光が流れて希望の村の平和な一日が明ける。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 056 "通州の街(通州)"

亜東印画輯 09 056 "通州の街(通州)"

日本語: ●通州の街(通州) 永い間の擾亂や兵匪の災禍に明るい日を見る事も少なかつた疲憊の町に新らしい天日がなごやかな光を投げ新政府の甦生に一陽復來の通州の巷は、往交ふ人々の面貌にも昨日と異る潑溂とした生氣が漲つて賑やかな中に市況も活氣を呈して居る。 (印畵の複製を嚴禁す) 

亜東印画輯 09 057 "池畔疎影(通州)"

亜東印画輯 09 057 "池畔疎影(通州)"

日本語: ●池畔疎影(通州) 千年の齡を苔蒸した巨塔は靜かに疎影を投げ、池塘に映る枯柳の寂しきたゝずまひ、薄墨を溶かしたやうな空に殘された鈍色の城壁、音もなく池面を匍ふ裸の枝影にも微動の氣はえさへも聞きとれぬ靜寂境、カメラの表現には物足りぬ處はあるが、正に枯淡な一幅の名韻である。 (印畵の複製を嚴禁す) 

亜東印画輯 09 041 "創業館(新京)"

亜東印画輯 09 041 "創業館(新京)"

日本語: ●創業館(新京) 明治の大立物伊藤春畝公が往年渡歐の途次哈爾濱驛頭の露と消える前夜ゆくりなくも一夜を明かした處である。東公園の丘上に現存のものは記念のため後年改修されたものであるが、歷史の少い新京としては近世史上由緒の深い思出の記念である。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 050 "粟の脱穀(北滿)"

亜東印画輯 09 050 "粟の脱穀(北滿)"

日本語: ●粟の脱穀(北滿) 大方の農作は殆んど収穫された。暖かな一日、村の廣場に脱穀機を据付けて粟の脱穀に小供も混へてなごやかな情景である。 此の村では主として大豆、粟、小麥が生產され、移民村として整つた基礎があり、しかも信仰による團結と精進は平和の内に眞劍な戰が續けられて居る。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 047 "移民村(北滿)"

亜東印画輯 09 047 "移民村(北滿)"

日本語: ●移民村(北滿) 遠く祖國を離れ先づ安住の里を尋ねそこを墳墓の地とした一團は此處に自給自足の村を造つた。先驅者の足跡はいつも尊い記錄である、この茅葺の支那房子から進出の意氣と眞摯な努力が生れ、やがてその人々の一鋤毎に豐沃の地は切り開かれて行く、これは哈爾濱郊外の天理村の一角である。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 071 "外邊長城(張家口郊外)"

亜東印画輯 09 071 "外邊長城(張家口郊外)"

日本語: ●外邊長城(張家口郊外) 白皚々たる連峯の起伏、蜒々と長蛇の如く匍ふ長城の破壁、遙か彼方髣髴として天空に連るかの如きあたり、雄渾と云ふか壯觀と云ふか唯廣闊なる展景の前に『偉大』なるものに對する咏嘆の唸りのみである。乾坤廻りて二千歳靑史は尚どこ迄つゞくか。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 063 "湯山の避暑地(湯山)"

亜東印画輯 09 063 "湯山の避暑地(湯山)"

日本語: ●湯山の避暑地(湯山) 往時淸朝全盛時代には湯山は歷朝の避暑地として湯山離宮を築かれそれを中心として顯官の別墅が甍を並べる壯觀の勝地であつた。時代の變遷につれ古の俤偲ぶよすがもない一寒邑湯山となつたが、昔のまゝの大湯山、小湯山近くには今も尚北平方面富豪の別莊などが散見され避暑地として溫泉と共に知られて居る。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 060 "城外風景(通州)"

亜東印画輯 09 060 "城外風景(通州)"

日本語: ●城外風景(通州) 我儘な暴君の惡趣味と苛斂誅求の表徵として僅かに殘骸を曝してるやうな城壁は、幾度かの兵燹や戰亂の見果てぬ姿を色褪せし荒頽の醜骸に殘したまゝ灰色の吐息をついて居る。うすら寒い空合ながら城壁を背にした農家の軒先きは小春の陽を浴びて屈托もなげに長閑である。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 034 "新都市風景(新京)"

亜東印画輯 09 034 "新都市風景(新京)"

日本語: ●新都市風景(新京) 滿鐵自慢の快速列車『あじあ』に客となり新京驛頭に下り立つと、かつての旣成新京とは全く趣を異にした明朗さと新鮮さの新都市風景が展開される。並ぶ大厦に映ゆる陽も麗かに國都の新興氣分の雰圍氣の中に、道往く人々の足取りにも晴れやかな活氣が流れて居る。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 070 "賜兜山雲泉寺(張家口郊外)"

亜東印画輯 09 070 "賜兜山雲泉寺(張家口郊外)"

日本語: ●賜兜山雲泉寺(張家口郊外) 雲泉寺は賜兜山の中腹にある名刹で、境内に有名な冰洞と水洞の二洞穴が僅か二三間を隔てゝ相並んで居る。冰洞は洞内四時堅氷に滿たされ盛夏酷暑の候にも解くる事なく、水洞内には極めて淸冽な泉湧き常に淸水を湛へて凍る事が無い。 (印畵の複製を嚴禁す) 

亜東印画輯 09 055 "通州鳥瞰(通州)"

亜東印画輯 09 055 "通州鳥瞰(通州)"

日本語: ●通州鳥瞰(通州) 通州は北平の東方十五哩にあり、城壁は明初の創建になり、淸朝更に增築せるものにて、昔時は通運、朝天、迎薰、凝翠の四門より成り、これを貫く十字街に繁榮を誇つた町である。淸朝沒後時勢の趨移と共に僅かに田舎の一小城として寂びて來たが冀東政府の樹立と共に一躍その名が擧げられた。(印畵の複製を嚴禁す) 

亜東印画輯 09 048 "村の小學校(北滿)"

亜東印画輯 09 048 "村の小學校(北滿)"

日本語: ●村の小學校(北滿) 日當りの良い南向の校舎の軒下には秋草がすく(すく)と伸びて可憐な花が咲いて居る。文化の恩惠を享けることは少く共、無心のうちに素朴な父母の血が根強く養はれ朝な夕な希望に働く人々の心に抱かれつゝ、此庭で敎育をうけて居る小供等は幸福であり、第二世の敎育として必要な設備である。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 062 "湯山溫泉(湯山)"

亜東印画輯 09 062 "湯山溫泉(湯山)"

日本語: ●湯山溫泉(湯山) 溫泉ホテルの長八角形長さ百六十尺の昔のまゝなる浴槽にひたつても、今は昔立ち昇る湯氣の中に春寒に凝脂を洗つた傾國の繊姿を幻に浮べるすべもないが、殘された石階に歷代皇帝の來浴を仰いだ盛時の豪華壯麗の繪卷がそゞろに想起される。(印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 035 "中央通(新京)"

亜東印画輯 09 035 "中央通(新京)"

日本語: ●中央通(新京) 驛前の廣場から放射された三大路の中央を走る中央通は、舊附屬地の主要路として邦人の手に經營せられた街で、幅の廣い平坦路と舖道を被う綠の街路樹と、輪奐の美に映ゆる新裝の美觀は新らしい國都にふさはしい淸々しい情景である。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 058 "燃燈舎利塔(通州)"

亜東印画輯 09 058 "燃燈舎利塔(通州)"

日本語: ●燃燈舎利塔(通州) 通州には町と共に必ず聯想される古塔がある。この燃燈舍利塔は舊凝翠門内にあり高さ十三層、下部に蓮花の臺座あり雄渾なる偉觀を高く中空に聳立して町のシンポルをなして居る。後周宇文氏の創建で康熙年間更に重修されたものと謂はれ、冀東政府は實にこの一角から發祥されたのである。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 088 "街頭のシネマ(南滿)"

亜東印画輯 09 088 "街頭のシネマ(南滿)"

日本語: ●街頭のシネマ(南滿) 銅貨二三枚で覗ける街頭のシネマは『のぞき』に飽いた連中で大繁昌、大衆娛樂として此處でも正に王座である。日光を利用した鏡の反射光で映寫され、トーキーかはりに技師殿の口から出る説明に觀客は用事も忘れて居るうちに日は傾く。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 051 "大根畑(北滿)"

亜東印画輯 09 051 "大根畑(北滿)"

日本語: ●大根畑(北滿) 無盡藏な資源を抱有する產業國滿洲でも農業は尤も主要なもので、その發達は農產の開發にあると謂はれながら永い間未墾の地域が雨露に曝され來た。然し今は王道樂土の下に移民の計畫が進涉されて耕作された田畑を随所に見、蔬菜類も漸く都會へ進出されるやうになつた。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 045 "『生琉里』[フルサト](北滿)"

亜東印画輯 09 045 "『生琉里』[フルサト](北滿)"

日本語: ●『生琉里』[フルサト](北滿) 『生琉里』は天理敎信徒の手になる移民村で、昭和九年七月顧る人もなき荒地に掘鑿や井戶の工事が進められ漸く準備が整ふと共に、四十五家族二百餘名の人々が入植し引續き第二、第三の移民を見て今日に至つた集團で今では獨自の信仰を基調として小いながら文化も培はれてるのがうれしい。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 043 "忠靈塔(新京)"

亜東印画輯 09 043 "忠靈塔(新京)"

日本語: ●忠靈塔(新京) 新京市街上空高く魏然として聳立する忠靈塔は、滿洲事變に護國の鬼となり建國の人柱となりし遺靈を慰めその芳烈を傳へんため建設せられたもので、國家の榮ゆる限り永久にその礎となり英靈千載に邦家を護ると共に新京のシンポルとして輝くであらう。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 072 "長城の燉臺(張家口郊外)"

亜東印画輯 09 072 "長城の燉臺(張家口郊外)"

日本語: ●長城の燉臺(張家口郊外) 永定河を挟んで兩側から扼するやうに差迫る外邊長城の山巔に所々燉臺(烽火台)が點々として居る。一度烽火擧がれば人動き馬嘶き、長槍、靑龍の劔戟の光忽ち起り、幾度か征馬帳みて殊壘に長恨を殘しゝことぞ、今此處に立ちて指呼の間に想起する時天地は老いず只朔風面を打つのみである。(印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 082 "秋の陽(懷柔城外)"

亜東印画輯 09 082 "秋の陽(懷柔城外)"

日本語: ●秋の陽(懷柔城外) 日脚の短い秋の陽はまだ暮るゝに早く道畔に並ぶ楡柳の疎影を小徑に落して居る。ものうげに驢馬の一群がカタコトと殘す跫音がどこかに消えると、あとは遠くの鶏の啼聲のみで田舎の晝は寂しい程靜かだ。やがて土地名物の棗が熟し落花生がとれて赤い串さしの山櫨子が子供を喜ばすのも遠くはあるまい。 (印畵の複製を嚴禁す) 

亜東印画輯 09 086 "路鬼(南滿)"

亜東印画輯 09 086 "路鬼(南滿)"

日本語: ●路鬼(南滿) 冠婚葬祭の御家元の國だけに儀禮は大げさで、特に親の葬送を盛大にする事が孝道と思はれて來た因習と所謂面子の體裁から往々その葬式に家產の大半を傾倒するものさへある。何十人の輿丁に擔がれた靈柩を中心に、長旒や大旆、供物や飾物で里餘に餘る行列が續く、これもその一つの路鬼と稱する紙製飾物である。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 093 "種播き(南滿)"

亜東印画輯 09 093 "種播き(南滿)"

日本語: ●種播き(南滿) 遠近の山が淡い霞に包まれて赭土に被はれた一面の畑地で整然とした畦の線が描出されるとそろ(そろ)種播きの季節が訪れる。春を喜ぶげに赤い大掛兒の色も鮮やかな里の娘子が三々五々畑に連立つて、やがて近づく嬉しい娘々祭が指折り數へてるだらう輕い囁きのうちに種は播かれて行く。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 078 "城門近く(昌平城外)"

亜東印画輯 09 078 "城門近く(昌平城外)"

日本語: ●城門近く(昌平城外) 城壁を一歩出るとそこには城内の雜然とは異つた畫面が展げられた。『酒あり』と小旗の一つも慾しげな掛茶屋の床几も人待ち顏に、道端に餌をあさる鶏に秋の陽が照りつけて居る。新政を謳へる村人の樂しげな歡談がその屋臺からもれてくるやうに思はれる程なごやかな情景である。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 083 "密雲市街(密雲縣城)"

亜東印画輯 09 083 "密雲市街(密雲縣城)"

日本語: ●密雲市街(密雲縣城) 密雲は白河と潮河が合流する東北にあり古北口を經て塞外に近い關係から古來蒙古貿易の行はれた地であるが今は見るべきものはない。新舊二城あり舊城は明の洪武年間の建造で僅かに城壁を殘すのみ、新城はその東に連り萬曆年間の建造で周圍六里三城門を備へて居る。 (印畵の複製を嚴禁す) 

亜東印画輯 09 069 "賜兜山全景(張家口郊外)"

亜東印画輯 09 069 "賜兜山全景(張家口郊外)"

日本語: ●賜兜山全景(張家口郊外) 賜兜山は張家口の西方郊外にあり北は張家口市街を隔てゝ大平山を望み南は限り無き塞外の展開を恣いまゝにする頗る景勝に富める一角である。山の中腹に丹碧の彩も鮮やかに幾棟かの堂宇を並べるのが有名な雲泉寺である。 (印畵の複製を嚴禁す) 

亜東印画輯 09 075 "牛欄山(順義縣)"

亜東印画輯 09 075 "牛欄山(順義縣)"

日本語: ●牛欄山(順義縣) 牛欄山は縣内牛欄山鎭にあり、往昔淸朝歷代の皇帝が熱河巡幸の砌幾度か車駕を蹕めて景勝を賞でられた個所で、山上の堂宇から眺めると濶々と展げられた全縣一帶の平原の中に、帶の如く西北から渡來する九渡河が山の脚下で北運河に入り蜒々と南下するあたり正に絕景である。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 076 "蘇莊の堰(順義縣)"

亜東印画輯 09 076 "蘇莊の堰(順義縣)"

日本語: ●蘇莊の堰(順義縣) 此の地方一帶は雨期に入ると屢々河水の氾濫に惱まされたのでその災害を防ぐために白河に施設されたもので、場所は順義縣李遂莊の蘇莊にあり民國十一年起工し五年の歳月と二百五十萬元の巨費が投じられた。洩水區間二百十米あり土地の人々は淨橋とよんで居る。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 067 "街の毛皮屋(張家口)"

亜東印画輯 09 067 "街の毛皮屋(張家口)"

日本語: ●街の毛皮屋(張家口) 蒙古から來る毛皮の取引を唯一の貿易とし昔からそれによつて生きて來たやうな張家口も、色々な政治的關係から昔日の如く交易が盛況を見ぬやうになつた。然し出盛りには尚市が開かれ町の内にも毛皮やその製品が多く見られる。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 077 "街頭の石[石へんに童](順義縣城)"

亜東印画輯 09 077 "街頭の石[石へんに童](順義縣城)"

日本語: ●街頭の石[石へんに童](順義縣城) 順義の町の中央油臭い雜踏の人いきれの中に古ぼけた石[石へんに童]が一基煮賣屋の屋臺かはりに風雨に曝されて居る。唐時代のものだらうと時代も忘れられて居るが、當時はこの一廓が大きな寺觀の境内でその殘骸と口碑に傳へられて居るのみである。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 087 "阿片吸煙(南滿)"

亜東印画輯 09 087 "阿片吸煙(南滿)"

日本語: ●阿片吸煙(南滿) むうと鼻をつく異臭の渦、もう(もう)と閉こめられた紫煙の室内に窓から陽射しをうけた薄暗い寢臺が幾つか並べられて長い煙管を燻らした吸煙者が寝そべつて南柯の夢を貪つて居る。日一日と深みに陥る蒼白の顏の群を見る時、經世家が如何に聲を高くしても阿片は上下を通じて離れ得ぬ固疾であるらしい。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 049 "粟の刈入れ(北滿)"

亜東印画輯 09 049 "粟の刈入れ(北滿)"

日本語: ●粟の刈入れ(北滿) 當時は一風一雨の動きにも喜憂におのゝきつゝ耕した侵晨帶月の建設の勞苦もやゝ酬いられて、今穫入れの畑地に鎌を入れる村人の胸中を思ふと、僅かな辛苦の粒々にも異境の荒蕪地に續けられて來た忍從の試鍊が偲ばれて淚ぐましい。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 089 "講談(南滿)"

亜東印画輯 09 089 "講談(南滿)"

日本語: ●講談(南滿) 露天市場の一角、バラツクにトタン張りのステージで若い娘が二人蛇皮線の伴奏で黄い聲を張り上げて居る。講談に類する勇俠傳と云つたやうな大衆物讀みで、聽集は日半日も腰を下し興到れば呼聲をあげながら悠然と煙管をくわへて聞きひたる。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 081 "紅螺寺(懷柔縣)"

亜東印画輯 09 081 "紅螺寺(懷柔縣)"

日本語: ●紅螺寺(懷柔縣) 紅螺寺は懷柔縣の北方にある紅螺山中のなだらかな起伏の連る山合にある寺觀で、附近一帶の景觀は春の花に夏の綠に秋の錦繡にその折々景を添へ、その中に包まれた丹碧の伽藍に色映える眺めは實に一幅の彩管である。夕靄の山皺を匍ふ頃峰から峰に響く鐘の音も又一しほである。 (印畵の複製を嚴禁す) 

亜東印画輯 09 064 "張家口全景(張家口)"

亜東印画輯 09 064 "張家口全景(張家口)"

日本語: ●張家口全景(張家口) 張家口は蒙古語でカルガンと云ひ、大平山、賜兜山、元寶山の三山に圍まれた自然の要塞地で、僅かに永定河に沿ふ一路のみが昔から蒙古の庫倫と綏遠へ通ずる二大通路の關門であつた。今も尚察哈爾省の政府として政治的にも樞要な處である。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 046 "耕された畑地(北滿)"

亜東印画輯 09 046 "耕された畑地(北滿)"

日本語: ●耕された畑地(北滿) 滿洲の天地を占める廣汎な大平野、その内には未だ鋤犂も入らざる豐饒な處女地が到る處に見られる。農業國滿洲にふさはしい合理的な移民の挺身は、建國の援助に犠牲となつた碧血の地に鍬を加へつゝ香華を捧ぐると共に、その開拓は經濟生命線の確保に重要な役割を演ずる。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 085 "露天市場(南滿)"

亜東印画輯 09 085 "露天市場(南滿)"

日本語: ●露天市場(南滿) 古着、金物、履物、木工等あらゆる物が天幕張りの小屋に數限りなく、果てはガラクタの廢物まで雜然と軒並に陳列される露天市場は大きな都會には必ずある。その一廓には飲食店もあれば色々な大道見世物もあり更に劇場遊廓さへも備へられて、正に一大市場であり慰安の觀樂場である。 (印畵の複製を嚴禁す) 

亜東印画輯 09 061 "行宮の跡(通州)"

亜東印画輯 09 061 "行宮の跡(通州)"

日本語: ●行宮の跡(通州) 湯山鎭は昌平縣にあり大湯山と小湯山の間にある部落の總稱で、康熙年間此地の泉源が帝室御料となり巨費を投じ大理石の湯地を築設され宏壯な行宮が建てられた名泉地である。其後內憂外患相踵ぎ癈棄のまゝなりしが民國となり行宮跡に溫泉ホテルが經營せられ今日に及んで居る。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 105 "湖南營の本通り(千振郷)"

亜東印画輯 09 105 "湖南營の本通り(千振郷)"

日本語: ●湖南營の本通り(千振郷) 第二次移民團が本據を据ゑてからの湖南營は目睲しい發展をなし、本來僅々二百位の一寒村に過ぎなかつた處が今は人口四千餘を包容する立派な市街となつた。千振郷を中心としてその移民地の生產と消費を目的に、更に將來この背後地よりの特產の交易を目標として生れた繁華である。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 074 "順義の街(順義縣城)"

亜東印画輯 09 074 "順義の街(順義縣城)"

日本語: ●順義の街(順義縣城) 河北の北部が注目されて來たのは冀東政府の出現が政治的に環視の内に立つてからで、それ迄は大抵餘り名の知れぬ田舎の一城であつた。順義も縣治地で周圍六里の城壁を撓らし四つの城門があるが、地方農產の集散位で何となく土臭い田舎町である。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 096 "原料の粉碎(關東州)"

亜東印画輯 09 096 "原料の粉碎(關東州)"

日本語: ●原料の粉碎(關東州) ゴロ(ゴロ)と薄暗い納屋の内で日ねもす目かくしされた驢馬は石臼の廻りをものうげに輓きながら歩むともなく廻る、異樣な石臼の軌る音は周圍の風物に和して何とも云へぬ悠長さが流れる。高粱酒の原料を粉碎する釀造場で、燒鍋(釀造業)は滿洲では普遍的な屋内工業だけに邊陬の地でもよく見られる。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 099 "落花生の加工(關東州)"

亜東印画輯 09 099 "落花生の加工(關東州)"

日本語: ●落花生の加工(關東州) 落花生の栽培が獎勵せられその販路が開拓せられて食料から更に榨油工業へと進むに連れ、需要範圍の擴大と共に生產額も增加されて來た。現在關東州が主なる生產地でその出來高の八割は遠く歐米へ輸出せられ州内農產の主位を占めるに至つた。圖は姑娘達が穀皮をむきつゝある處。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 084 "日向ぼつこ(南滿)"

亜東印画輯 09 084 "日向ぼつこ(南滿)"

日本語: ●日向ぼつこ(南滿) 立てば歩めの親心、まして眼に入れても痛くない孫の子守りに樂しげな愛撫の眼ざしが老婆の顏にその儘の童心となつてほゝゑんで居る。服裝から見ると春も日淺い薄ら寒い頃であらう、日當りの良い門先で日向ぼつこに餘念のない處のスケツチ。 (印畵の複製を嚴禁す) 

亜東印画輯 09 073 "塞外へ(張家口)"

亜東印画輯 09 073 "塞外へ(張家口)"

日本語: ●塞外へ(張家口) 張家口の上堡から永定河の河原へ通ずる所に大境門がある。兩側の山上に蜒々たる長城連り更に上堡の城壁に挟まれたこの門は、往昔塞外への唯一の通路を扼する關門で北夷への備へであつた。幾度か烽火擧り長柵を越え又幾度か去りし歷史をよそに苔蒸した城門は今も尚昔ながらの姿である。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 092 "易斷の店先き(南滿)"

亜東印画輯 09 092 "易斷の店先き(南滿)"

日本語: ●易斷の店先き(南滿) 天地乾坤を鵜呑みにしたやうな面貌で小卓の上に二三册の易書と筮竹を並べた易者をよく路傍で見る。未だ易を信ずる民衆が多いだけに相當に商賣かあるらしく弱點をつかんで思はせ振りに説くあたり正に妙手である。便利な事に占の傍ら手紙の代筆もやれば相談にものるので勞働者級には重寶な存在である。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 079 "昌平の譙樓(昌平縣城)"

亜東印画輯 09 079 "昌平の譙樓(昌平縣城)"

日本語: ●昌平の譙樓(昌平縣城) 昌平縣城は元永安城と謂はれ白浮圖城から此地に官廳を移された處で、有名な明の十三陵はその北郊約五哩の處にあり、明代その陵衛を設けられてその折周圍十里南北二里の長方形の城壁が築かれた。東西北の三門と南に小門ありこれはその譙樓である。 (印畵の複製を嚴禁す) 

亜東印画輯 09 106 "種畜場の集合住宅(千振郷)"

亜東印画輯 09 106 "種畜場の集合住宅(千振郷)"

日本語: ●種畜場の集合住宅(千振郷) 千振郷の種畜場は昭和十一年十月建築せられたもので二千五百坪の敷地と更に三千町歩の廣大な放牧地がある。馬、牛、緬羊、豚、鶏、家鴨等が飼育せられ各々專任指導員によつて改良生產が行はれて農畜混同の實を擧げて居る。やがて附近一帶蜿蜒一望の大放牧場の出現を見るのも遠くはあるまい。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 112 "移民訓練所生の耕作(千振郷)"

亜東印画輯 09 112 "移民訓練所生の耕作(千振郷)"

日本語: ●移民訓練所生の耕作(千振郷) 若い人々に移民として訓練するため訓練所が設立され指導員の手によつて實地敎育を施されて居る。特に最近第六次移民の先遣隊員が三百名の團員に一戶當り二名宛訓練生として割當られ、異常な活氣の中に朗らかな靑年移民の強い腕で新らしい土は拓かれて行く。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 104 "千振郷の部落(千振郷)"

亜東印画輯 09 104 "千振郷の部落(千振郷)"

日本語: ●千振郷の部落(千振郷) 昭和八年第二次移民が入植した地點は三江省七虎力河の沿地であつた、翌年例の土龍山事件の勃發により自衞上全員を湖南營に集結し爾來その儘此地を中心として今日に及んだ。滿語「七虎力」[チフリ]が千振郷と改稱せられ、十七ヶ村十七區の集團に各々その出身縣名を附けて、村名として居る。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 113 "村の鐵工場(千振郷)"

亜東印画輯 09 113 "村の鐵工場(千振郷)"

日本語: ●村の鐵工場(千振郷) 團員の手で個人住宅から各集團部落の附屬建物が建設され十七ヶ村が集つて輝かしい千振郷が生れた。中心地湖南營には先づ神社が祀られ、小學校、病院から農產加工場、農事試驗場、種畜場、訓練場、鐵工場等が順次建設されて、世評の樂觀悲觀の杞憂もよそに着々一歩づゝ強い脚を土に即して進みつゝある。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 080 "懷柔縣城(懷柔縣城)"

亜東印画輯 09 080 "懷柔縣城(懷柔縣城)"

日本語: ●懷柔縣城(懷柔縣城) 懷柔縣城は縣の中部にあり、明の洪武年間四壁土を以て築き後年地震のため修理されたのが現存の城壁で周圍四里東西南の三門が開かれて居る。幅約三間位の十字街が幹路をなすのみで餘り活況は覗れぬ、住民は商業の傍ら半農の生活を營んで居る。 (印畵の複製を嚴禁す) 

亜東印画輯 09 098 "落花生の收穫(關東州)"

亜東印画輯 09 098 "落花生の收穫(關東州)"

日本語: ●落花生の收穫(關東州) 農作物の中でも他の作物とは異り肥料も要らず栽培も容易なところから落花生の栽培は相當手廣く行はれて居る。特に關東州内は栽培獎勵の結果逐年躍進的な增収を見るに至り收穫時になると南京豆の山が到る處に見られ盛況を呈する。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 111 "ホームスパン(千振郷)"

亜東印画輯 09 111 "ホームスパン(千振郷)"

日本語: ●ホームスパン(千振郷) 冬期間比較的積雪量の少い此地方では緬羊の年間放牧が行はれ得るので畜產中第一位を占めて居る、現在八百七十頭(昭和十二、一月現在)ありその生產羊毛並に羊皮の利用のため移住者の家族にホームスパンの製作と毛皮鞣等が指導された。紡織から仕上迄綺麗に行はれホームスパンの立派な生地が出される。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 108 "農事試驗場の溫床(千振郷)"

亜東印画輯 09 108 "農事試驗場の溫床(千振郷)"

日本語: ●農事試驗場の溫床(千振郷) 千振郷では農耕の傍ら特殊畑作として煙草の試作が行はれ成績を擧げて居る。米國種の種苗を輸入し試驗場員で經營が行はれ品質も商品價值を認められたので、原料葉の供給が需要に遠く及ばぬ滿洲では將來有利なものである。圖は煙草の種苗を溫床で育成しつゝある處。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 109 "耕作(千振郷)"

亜東印画輯 09 109 "耕作(千振郷)"

日本語: ●耕作(千振郷) 昭和八年入植より追憶も尚新な受難の九年を經て、十年は未だ食料と飼料の自給の域を出でず十一年漸く順調に終始された。作物は小麥、大豆、粟、高粱等が主でその収穫により農作にも自信が生れ、經濟上の安定と共に精神的にも忍苦が酬いられて人心の落付きと共に一鍬毎に多幸の將來へと伸びて行く。 (印畵の複製を嚴禁す)

亜東印画輯 09 125 "彌榮驛(彌榮村)"

亜東印画輯 09 125 "彌榮驛(彌榮村)"

日本語: ●彌榮驛(彌榮村) 佳木斯から坦々たる曠野の中をスローモーシヨンの汽車に搖られて南東へ十五里の處、廣い野原に取殘されたやうな白亞の日本式建築が彌榮驛である。圖佳線の開通された今日、移民地の發展に連れ生產品の他出と共に將來重要な地點となる驛である。 (印畵の複製を嚴禁す)

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